空白感の重たさ
最近、キュレーションサイト「scoop.it!」を使って、Evernoteに関するBlog記事なんかをキュレートしています。
http://www.scoop.it/t/evernote-news
キュレートと言っても、大した作業ではありません。scoop.it!が「提案」してくるニュースやブログ記事などを見ながら、「これ、採用」「これボツ」などと判断し、「紙面」に載せるものをセレクトしているだけです。
この作業をしていると、「空白」についていろいろ思うことがありました。
ある程度の基準を持って、記事を選別しようと思うと、日によっては「特に紙面に上げられるようなものがない」ということもあります。そういう時に、「ちょっと、基準を下げて(あるいは変えて)でも何か更新したほうが良いだろうか」という気持ちが湧いてきます。
Webの世界に長くいると、「更新しないと、読者に飽きられる」という強迫観念じみたものが生まれてくる、というのは少々大げさかもしれませんが、それに近い気持ちがあるのかもしれません。
今のところは、その気持ちをぐぐっと抑えて、何もピックする記事がないときは、紙面の更新はなしにしています。
しかし、よくよく考えると、日本のメディアというのは、毎日この状況に追い込まれているのでしょう。
ほとんど毎日発行される新聞。毎週発売される週刊誌、毎日放送されているテレビ番組。
たとえ、その時間帯、その枠で取り上げるべき話題がなくても、「今週はちょっとやめておきます」というわけにはいきません。枠があれば、それを埋めなければいけないわけです。
こういう状況で、毎回同じクオリティーを維持していくというのはかなり大変なんだろうな、という気がします。
でも、新聞の4面とかが「今日は取り上げるニュースは特にありませんでした」とか書いてあったら、やっぱり読者は納得しないんでしょうね。
だから、無理矢理話題を作り上げたり、あるいはたいしたことないことでも大げさに宣伝したり、といったことが起きる・・・・・・のかもしれません。
私は物書きとしては、「書きたいことを書く」というスタンスを維持しようと心掛けています。つまり、書くべきことがなければ書かない、ということです。
※幸いなことに、現状書きたいと思っていることが山ほどあるので、本を書く動機がなくなる、ということはなさそうですが。
対してBloggerとしては毎日更新する、という目標を持っています。こちらの場合は、毎日一つは何かを取り上げざるを得ません。
同じ文章を書くという作業なわけですが、その裏側に潜む哲学性には、何か違いがあるきがします。どちらかというとBloggerの視点は、編集者さんのそれに近いものがあるかもしれません。
ということを考えているヒマがあったら、目の前の原稿を片付けよう、というもう一人の自分からのツッコミがはいったので、この辺で終わりにしておきます。