章立て

これまでに4冊の本を書いているわけですか、いまだかつて最初に立てた章立て通りに書けたことがほとんどありません。

もちろん、全然違う形というわけではないんですが、構造の組み換えは頻繁に起きてきます。

なんというのでしょうか、書いている内に自分が理解できることってあるんですよね。で、その理解した視点からみると、最初に立てた構造がどうも違う、と感じる。

重要だと思っていたことが、重要ではなく、あんまり重要と思っていなかったことが、実は重要。

そういう自分から見えている世界が変わっちゃうと、そのまま進めるのがとても難しくなるんですよね。まあ、そのままごり押しして書くことも(あるいは)できるのかもしれませんが。

作業的には書き直し、構造の再構築が行われるわけですから、いわば回り道です。でも、その自分が見ている世界が変わる感触というのはとても素敵なものです。他者からの感想ではなく、自分自身においてその仕事をやっていて良かったな、と感じことができます。

たぶん、純度100%のKJ法でアプローチするとこういう改変は行わなくてもよいのかもしれません。

最初に章立てして、書き進めながら構造を再構築していくというのは、部分的なKJ法の適用です。

でも、なんというのでしょうか、企画会議に通りやすそうな「章立て案」というのは、きっとあるんですよね。実務的な面で、つまり先に頭で考える章立てというのも、そういう意味では必要なのかもしれません。